長和町にふれる
長野県のほぼ中央に位置する長和町。
平野部には昔ながらの長閑な
田園風景が広がり、
美ヶ原高原や
蓼科山とつながる丘陵部は、
四季折々の自然とひとつになれる
場所として親しまれています。
また、町の南西部にある
星糞峠(ほしくそとうげ)は、
黒耀石の産地として、遥か古代から
全国にその名を知られていました。
自然、歴史、文化が息づく
長和町をご紹介します。
長和町の歴史
江戸時代、中山道の宿場町として多くの旅人が往来した「和田宿」、「長久保宿」。
近年、歴史的な旅籠建築が復元保存され、撮影スポットとしても人気です。江戸時代にタイムスリップした気分で歩いてみては。
歴史を知る
長和町でできること
黒耀石の展示解説に加え、石器・勾玉作りなどの体験ができる「黒耀石ミュージアム」、伝統工芸「立岩和紙」の製作体験ができる「立岩和紙の里」など、天候に関わらず、お子様連れで楽しめる体験スポットが充実しています。
体験する
長和町の歴史
長い長い時を経て継がれてきた自然と文化こころ和む風景と人々の営みが、ここにはあります。
長野県のほぼ中央にある長和町は、黒耀石の産地として、古代から人々が住み暮らしてきました。
そして、旧中山道が通る長久保宿、和田宿の2つの宿場が当時の面影を残す歴史ある町です。縄文時代の遺跡も発見されており、当時の黒耀石鉱山として、鷹山の星糞峠が国の史跡に指定されています。
中山道とは
ーー江戸時代、「五街道」の一つ「中山道」は江戸と京都を結んでいました。
参勤交代の際に使用され、街道沿いには大名などが泊まるために多くの宿場が設けられました。
そのうち、信濃には26の宿場があり、
長和町には2つの宿場町が存在します。
中山道の最高地点、標高約1600mの難所が迫る和田宿。
竪町(たてまち)と横町(よこまち)が直角に交わり、L字の町並みを見せる長久保宿。
長和町の広大な自然の中で、
歴史に親しみながら旅をしてみませんか。
中山道 第ニ十八番和田宿
中山道の最高地点にして最大の難所といわれた「和田峠」を控えた和田宿。
標高差約800mの峠越えに備え、ここで多くの諸大名や旅人が英気を養いました。旧道沿いには国指定史跡の「和田宿本陣 」「歴史の道資料館かわちや」「大黒屋」などが並び、往時の人々の息遣いを現代にも感じさせてくれます。
和田宿本陣ほか宿場の大半は、文久元年(1861)3月の大火で一度焼失しましたが、
現在本陣には、板葺き石置き(1633個の石)屋根が特徴的な居室棟が残っています。
かつての大名の行列、旅人たちが歩いた
和田宿~和田峠の道を歩きませんか?
和田宿⇔和田峠
距 離
- 約10.8km
所要時間
(徒 歩)- 下り約195分 / 上り約230分
中山道 第ニ十七番長久保宿
長久保宿は当初、現在の位置よりも西側の依田川沿いに設けられていましたが、依田川の大洪水によって流失したため寛永8年(1631)に高台の現在の地に移りました。
その後、「本陣・問屋」を中心に東西方向に「竪町(たてまち)」を形成し、宿場が賑わうにつれ南北方向に「横町(よこまち)」を形成したため、「竪町」と「横町」が交わる L字型の町並みになっています。
中山道の難所である和田峠・笠取峠を控え、北国街道の分岐点に位置していたことから、おおい時には43軒の旅籠があり、信濃の中山道26宿の中では「塩尻宿」に次ぐ数を誇る大規模な宿場でした。
宿場に関する歴史・資料を展示している「長久保宿歴史資料館一福処濱屋」など多くのスポットがあります。
旅籠が栄えた大きな宿場町を歩いて 、
歴史を感じてみませんか?
笠取峠⇔和田宿
距 離
- 約10.2km
所要時間
(徒 歩)- 下り約175分 / 上り約175分
黒耀石
星のようにキラキラと輝く黒耀石。
鷹山にある黒耀石の原産地は、
いつしか「星糞峠」と
呼ばれるようになりました。
割れ口が鋭く加工しやすい黒耀石は、
およそ3万年もの間、石器の材料として
利用されてきました。
星糞峠には貴重な黒耀石を求めて、
たくさんの人々が集まり、
黒耀石の流通にも関連する
大きな遺跡も残っています。
星のようにキラキラと輝く黒耀石。鷹山にある黒耀石の原産地は、
いつしか「星糞峠」と呼ばれるようになりました。
割れ口が鋭く加工しやすい黒耀石は、およそ3万年もの間、石器の材料として利用されてきました。
星糞峠には貴重な黒耀石を求めて、たくさんの人々が集まり、
黒耀石の流通にも関連する大きな遺跡も残っています。