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和田エリア
和田宿
中山道の最高地点にして最大の難所といわれた「和田峠」を控えた和田宿。 標高差約800mの峠越えに備え、ここで多くの諸大名や旅人が英気を養いました。 旧道沿いには国指定史跡の「和田宿本陣 」「歴史の道資料館かわちや」「大黒屋」などが並び、往時の人々の息遣いを現代にも感じさせてくれます。 和田宿本陣ほか宿場の大半は、文久元年(1861)3月の大火で一度焼失しましたが、 同年の11月には皇女和宮の降嫁が控えていたため、幕府からの2千両(約2億円)もの援助と住民の努力により、見事に町並みを復興させ、この大行列を無事に迎えることができました。 現在本陣には、板葺き石置き(1633個の石)屋根が特徴的な居室棟が残っています。
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長久保エリア
長久保宿
長久保宿は当初、現在の位置よりも西側の依田川沿いに設けられていましたが、依田川の大洪水によって流失したため寛永8年(1631)に高台の現在の地に移りました。 その後、「本陣・問屋」を中心に東西方向に「竪町(たてまち)」を形成し、宿場が賑わうにつれ南北方向に「横町(よこまち)」を形成したため、「竪町」と「横町」が交わる L字型の町並みになっています。 中山道の難所である和田峠・笠取峠を控え、北国街道の分岐点に位置していたことから、おおい時には43軒の旅籠があり、信濃の中山道26宿の中では「塩尻宿」に次ぐ数を誇る大規模な宿場でした。 宿場に関する歴史・資料を展示している「長久保宿歴史資料館一福処濱屋」など多くのスポットがあります。