長和町を探す
カテゴリ検索
検索結果:3件
-
長久保エリア
長久保宿歴史資料館一福処濱屋
長久保宿は中山道の宿場町、難所である笠取峠を控え善光寺へと続く北国街道、諏訪地方へ結ぶ大門道が分岐する交通の要衝であったことから40軒以上の旅籠がある大きな宿場町でした。江戸方の竪町と京方の横町がL字型に接続する宿場町としては珍しい配置になっています。 明治初期に旅籠として建てられた「濱屋」は山間部の旅籠建築に多く見られる「出桁造(街道に面した側の1階より2階を突き出させた建て方)」になっていますが、江戸時代の街や建築より軒が高く、また本来は延焼防止目的であった卯建(うだつ)も意匠としてのみの役割となっています。 旅籠は開業することなく、長い間住居として使われてきましたが、平成12年(2,000年)町に寄付され、現在の「長久保宿歴史資料館」として資料の展示と、内部も一部公開されています。
-
和田エリア
歴史の道資料館「かわちや」(国指定史跡)
この「かわちや」も文久元年(1861年)の大火で焼失し、再建された当時のものです。 2階正面が1階より前に出て桁で支える「出桁造」と格子戸が美しい、江戸末期の旅籠建築の様式を伝えています。母屋は木造2階建て、切妻、鉄板葺き、平入り、外壁は漆喰仕上げです。 昭和56年「歴史の道資料館」として修復工事がおこなわれ中山道宿場町の資料が展示されています。 また、和田宿~和田峠の道筋は中山道の面影が色濃く残っていることから、平成8年(1996年)文化庁選定の「歴史の道百選」に選ばれています。
-
和田エリア
和田宿資料館「大黒屋」(国指定史跡)
江戸後期の文政年間(1804~28年)には本陣1軒、脇本陣2軒、問屋2軒、木問屋1軒、旅籠屋・茶屋72軒、家数は180軒あまりの大きい宿場町だった和田宿。 旅籠屋から安政年間以降昭和の初めまで穀物商を営んでた「大黒屋」は、「かわちや」の斜め向かい、一段高くなったところに建つ問屋跡の隣りにあります。 やはり文久元年(1861年)に再建された建物で、間口6間、奥行き5間の「出桁造」の大きな建物です。